スタイルを変えながら受け継がれる技
門中組虎舞 新沼利雄
アーティストインタビュー
三陸国際芸術祭2014

勇ましく踊り狂う三陸の浜の門中組虎舞。踊りは親から子へ引き継がれ、虎舞の幕を被っていても、誰が踊っているかわかるという濃密な郷土の空間で演じられてきた。時代とともに創意工夫を重ね、時代の要請に応じてスタイルをアレンジしながら、今日まで受け継がれ、地域の老若男女に愛され続けている。今回は門中組虎舞の実態へ迫るため、門中組振興会会長である新沼利雄氏に話を伺った。

(記事:西嶋一泰)


PROFILE
DSC06981.JPG新沼利雄(にいぬま・としお)。門中組振興会会長。門中組虎舞は岩手県大船渡市末崎町門之浜・中井地区に伝わる郷土芸能。宮城県の沿岸部で多く見られる獅子を用いた新年の悪魔払いの要素と、岩手県沿岸で盛んな漁師たちによる活気あるパフォーマンスが際立つ虎舞の要素を併せ持つ芸能。新年に集落の各戸をまわる悪魔払いのほか、熊野神社の例大祭で奉納され、各地の民俗芸能大会にも出演。伝説では、鎌倉時代に神輿・祭器・仏体を乗せた船が漂着し、それらを祭った神社が現在の熊野神社となり、宝物の一つの獅子頭を持って舞いはじめたのが門中組虎舞の発祥ともいう。岩手県指定無形民俗文化財。


LINK
門中組虎舞 http://toramai.web.fc2.com/
門中組虎舞復興祭 http://youtu.be/zIrp1arnDQ4


悪魔を払う虎の舞

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——門中組虎舞はどういうときに、なんのために行われる芸能なのでしょうか

新沼氏:まず1つは4年に1度の熊野神社のお祭りで踊ります。9つの地区がそれぞれ踊りを奉納するんですが、私たちの地域は門之浜と中井の2地区が一緒になって「門中組」としてやっています。震災の翌年の祭りも執り行いました。あとは毎年、元旦に門中の各世帯を悪魔払いをするためまわります。最近は公演の依頼も多いですよ。

——悪魔払いとはどのような儀式なのでしょうか

新沼氏:元旦に各世帯をまわって悪魔払い、新年の厄落としをします。以前はね、小正月1月15日にやってたんですけどね。今は元旦の日にやってます。一軒ずつまわるっていうのは、虎舞の一行が、玄関から入っていって、縁側から出ていくと。踊りはしませんよ。あとはお家の方の頭を虎舞が齧ります。長生きするとか、病気にならないとか、言われてますよ。みなさんからお酒をいただいて飲むこともあります。昔なんかは、行くとこ、行くとこみんな飲んでね。最初は20人、30人いても最後帰ってくると2、3人しかいないということもありました。みんな酔いつぶれてね。こどもたちもいっしょについてまわります。なにをするかというと、こどもたちは、虎舞の一行が玄関から靴を脱ぐでしょ、そしたら今度は出てくる縁側のほうにその靴を持って行く仕事をやるんです。

——お正月に虎舞がまわってくるというのが、ここの光景なんですね。

新沼氏:お正月の悪魔払いは、ここの地域だけじゃなくて、このあたりの沿岸部は虎舞とか権現様とかでお正月の悪魔払いはみなさんやっておられますよ。お正月から、太鼓と笛も出て、太鼓は軽トラの荷台にのっかてね。門之浜と中井に二つにわかれて各戸をまわり、最後は一つに合流します。ちょうど神社があるんですよ、地域の氏神様。その前ではきちっと踊ります。


アクロバティックな技を繰り出す

——虎舞の映像をみせてもらったんですが、かなり足を大きく開いて、四股をふむような中腰の姿勢で、虎頭を振るのが非常にかっこいいですよね。あの激しい動きはやはり若い人しかできないんでしょうか。

新沼氏:われわれは若い時やりましたけど、やってやれないことはないですよ。ただ長続きはしません、もちません。実際お酒が入ってね、人の前いけば、それなりに踊るってことはありますが、やっぱりきついですね。
虎頭3つでやった場合には1組最低5人。踊り手だけで15人になります。お囃子もあわせて遠征するとだいたい30人以上ですね。踊りそのものは13~14分くらいですよ。だから1人そんなに長くは踊ってないんですよ。

——でも、激しい踊りをするから、交代する人数が必要になるんですね。

新沼氏:あとは、アクロバットをしますから。腰のりと首のりっていうのがあるんですけどね。2人が協力して虎を大きく見せます。腰のりは、下になっている人は土台っていうんですけど、土台は足を開いて中腰になって頭を持つ。上の人は、土台の人のひざに足をかけて腰にのって、手を広げます。腰にのっているので腰のり。首のりは土台の人がきて、肩車をする。頭は前に残して、上の人は後ろに腰を沿り、下の人は前にかがむように前のめりになって、ちょうど扇型になるように上下で反るんです。上の人は反りながら、片手で頭を振るんですね。

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幕を被っていても誰が踊っているかわか

——踊りはどうやって練習されてるんでしょうか?

新沼氏:われわれがやってた頃は本当に練習しましたよ。練習をしていると先輩たちがあっちからもこっちからも助言して、誰が先生で誰の話を聞いたらいいかもわからない。そのなかで自分は「あ、この人の踊りはかっこいいな」とその人を見るんですよ。

ひとつ面白いことあるんです。昔われわれと一緒に踊ってたひとたちの、子どもが今踊ってるんですが、その人とその息子の踊りは、全く同じなんです。幕を被ってるんですが、一目でわかるんです。「あ、これ、だれそれの息子だ」って。なんでかっていうと、うちに帰ってお父さんが教えるんでしょうね。それを見てるわけです。まったく同じ。これには俺もびっくりしたね。

——幕の中に誰が入ってるか、外からみてもわかるんですか?

新沼氏:わかります。これはよくよく考えたら、そうなんです。うちにいてお父さん教える、じゃないですか。それで同じ踊りになっていくんです。

——虎舞でもかなり個性が出てくるんですね

新沼氏:基本はあるんですよ。でもね、個性が出るんです。基本があって、そこに個性というかアドリブが入ってきます。でもそこに「いい個性」と「わるい個性」とがあって、いい個性は伸ばしてやります。それぞれ、見てればわかるんですよ。一番の悪い癖っていうのは、踊っていて虎舞のアゴがあがること。これが一番わるい。だってアゴがあがると見えないでしょ。虎舞は、上むいたら何も見えないから。頭の方を上にして、常にあごをひいて踊ってるわけです。

——押さえるべき要所があって、あとは個性が出てくるんでしょうか

新沼氏:個性というか、基本的に流れはみんな一緒だから。あとはそのなかで、ちょっと、ほんのちょっと違うところがあるんですね。でも、郷土芸能って考えてみると顔って出してないよね。虎舞もそうだし、剣舞もそうだし、鹿踊もそうなんです。みんな顔隠してるでしょ。でもみんな踊り手は見る人が見れば特徴があって、誰が入ってるかってわかると思いますよ。

被災した人を元気づけてあげたい、震災後の門中虎舞

——東日本大震災の津波を受けて、門中組虎舞はどのような影響をうけ、現在に至るのか伺ってもよいでしょうか。

新沼氏:この伝承館にも津波が中に入って来たんですよ。虎舞はしっぽをくくりつけてあって、虎舞を乗せてた台は崩れたんだけど引き波で持っていかれずに残りました。太鼓はあっちこっち転がりましたが、なんとか出ていかずにすみました。だいたい海は、この崖の下ですから、ここまでくると思いませんよね。シャッター、冷蔵庫、テレビはみんな持っていかれました。でも、この虎舞と太鼓だけは残ってくれました。

震災のあと、地域のみなさんが避難所から仮設住宅に移ったあとに、避難所だった体育館で門中組虎舞復興祭をやりました。復興祭をやって、今までやってきた活動を再開することにりました。23年の7月24日だと思います。

——震災があって、復興祭へむけて再開しようという話はどんなかたちであったんでしょうか。

新沼氏:俺はもう避難所にいるときから、やりたかったの。みなさんに元気をつけてあげたかったんです。それをさすがの俺もできなかったんです。なんでかっていうと、私は被災しなかったんですよ。被災してない人が、やりましょうって、さすがに言えなかった。

私も被災したんであればね、みなさん避難所にいるうちにやりましょうってことになったのかもしれないけど、それはやっぱりできなくてね。でも、みなさんが仮設に移る、そのタイミングで避難所だった体育館でやりたかったから。その時はね、虎舞を3つ出せませんでした。やっぱりまだ気持ちが整理つかないという人もいたから。「じゃあ、やれる人だけでも」ということで、2つで踊ってやったんです。見る人は涙流している人もいました。

私もその時は、笛と太鼓を聞いたら鳥肌たってきた。今まで一回も鳥肌たったことないよ。そのときは本当に鳥肌がたった。今この地域で練習をここでやると、ほんとに好きな人が太鼓聞くとね、いてもたってもいられないの。子どもが虎舞の音楽を聞くとなんかそわそわするんだそうです。それだけ好きな人もいるんですよね。

今度の8月23日の三陸国際芸術祭への出演でも、今盛岡に出てる人がわざわざ駆けつけてくれます。それぐらい好きなんですよ。なんでもそうだけど、好きな人は、上手だし、覚えもはやいそれだけほら、熱心にみてるわけだ。研究しているんでしょうね。だから好きな人はやっぱり上手です。

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時代にあわせてスタイルを変える、これからの門中組虎舞

——太鼓には女性が入ってたたいてますよね。

新沼氏:太鼓はもともと女性は入ってなかったんですよ。笛はまだ女性入ってませんけどね。でも、入りたいという方がいたらやらせてあげたいです。だから、徐々にいろんなスタイルが変わってきてるんです。

太鼓はね、前は着物着て叩いてたんです。今は半纏になりましたけどね。着物持ってない方もいたし、お金もかかるし。時代とともに若干ずつ着るものも変わって来たと。

——その時その時、地域にあわせたかたちにということですよね

新沼氏:虎舞もね、前は草履をはいてやってたんですよ。だから踊ってて草履ぬげることもあったんです。草履が結局は今つくる人もいなくて、値段もあがってきてやむにやまれず今地下足袋でやってますけどね。

私も昔虎舞を踊ってたとき草履が脱げましてね。虎舞の前で先導するように踊る「さいぼうふり」がそれに気づいて、私のところにとっさに草履を戻して、それを履いて踊ったこともありました。向こうも、「あ、脱げたな」ってわかりますから。いまの「さいぼうふり」のちょうどお父さんの時のことですね。

私踊ってるころはね、ほんとはね、地下足袋は履きたくなかったの。草履でやりたかったの。でもやっぱりそこは、お金とかそういう面もあり、やむにやまれず、結局は地下足袋になったの。結局は時代に合わせてやっていかないと、残っていかないの。だから、虎舞だってね、張子はなかなかつくれる人いなくなったし。

今ね、私が考案したのがあるんですよ。さっき「虎舞の中どうなってるんですか」っていったでしょ、それが一目でわかる方法があるんですよ。それが、網。幕のかわりに、網をつけて踊ればわかると。練習用ですけどね。被った連中も一生懸命踊るんですよ。なるほどな、と私も思いましたよ。

——常に創意工夫を続けながら、虎舞を受け継いでるんですね。今回は貴重なお話をありがとうございました。